ポダイアトリックというものを『足病医学的対処療法』と仮に規定してみましょう・・・、それがどのように今現在 社会のどの場面で必要なのか?という点は ハッキリ言って多岐にわたりすぎて「コレだ!」という限定的な断定は不可能です。いくらその必要性を説こうと、言われる当人がその必要性を本当に感じ取らなければ いうなら意味のないお題目でしかありません。
ポダイアトリックが社会でどのように必要か?という説明については、あえてこのページでは結論を書かないでおきます。現実として 柔整師の方でもこの領域に長い研究の時間を費やし、独自の理論を有する方が相当数おられます。今の日本のポダイアトリックを取り巻く状況で残念なのは、皆ベースは一緒であるのに、それぞれが異なる方向軸に進んでおり、その個々が孤立しているがために、点が点のままで いつになっても点が「線」にならないことです。今この時点でJBが結論断定的に物事を語ることは先駆者に対して失礼ですし、無用な論議を起す可能性が高いからでもあります。つまりが・・・日本には統一された「ポダイアトリック」というものが確立していない状況がソコにある ということです。 しかし、現代は《健康》と《スポーツ》 双方への関心がこの上なく向上しているのは間違いない事実です。双方が短絡的にイコールとはいえませんが、現象面として 一流運動選手やTOPアスリートの周辺には もう既にポダイアトリックによる「処方」がなされています。いわばこれは裏方の仕事に当たりますので 選手の偉業の陰には隠れていますが、その選手のコンディションを維持し、時には崩れたフォームを補正するためのアイテムとして、すぐれたパフォーマンス実現を支える大切なコンテンツとして確かに機能しています。こう書きますと一見 このポダイアトリックは一部の有名運動選手オンリーの特権的サービス体系のようにも映るかもしれませんが、前述したように、西欧では「ポダイアトリ(足病医)」が数多く職業として各地に存在しており、この技能技術というのは大衆レヴェルにも充分発展するし、社会の側にも充分そのニーズは存在するのです。ただ・・・繰り返すようですが、今の日本には このポダイアトリックを発展させていくためのスタンダードが確立していないのです。 これはやや私的な考え方ですが・・・、このポダイアトリックは、それを行なう人間がキチンとした理論と検証に基づかれ行なわれなくてはなりませんが、反面 その理論と検証を活かして、的確な手技を発揮できることこそが 社会で多くの支持を得られる要件ではないでしょうか。どちらかに傾いてもダメで、いわば検証と手技の両輪がバランス良く同時進行してこそ 《すぐれた新たなるモノ》として定着するような気がします。
前述したように ヒトが2本の足で歩く以上 そこには必ず「ニーズ」があります。現況としてそれがなかなか見えてこないのは、求める側 提供する側 の双方が、その《ニーズ》に気がついていないからです。
物事を性急に考えると コレはいわゆる「足底板療法の1テクニック」と映ってしまうかもしれません。しかし、単に「足底板」を販売してソレで終わりであるなら『ポアイアトリック』という学問が確立されている理由にはならないのです。この辺はよく誤解を招きやすいようですが、足底板=インソール は、ポダイアトリックにおける最終形ではありません。ポダイアトリックとしての主目的ではないのです、これだけははっきり言っておきます。外科的な疾患を治療する場合で、患者さんにとって「治療を受けた」という事実を一番わかりやすくする「モノ」としてたとえば「湿布剤」があるように、ポダイアトリックの処置を一番パブリックとして理解しやすい「1形態」が 足底板=インッソールなのです。ですので このPFCは単に 足底板=インソール作成のための講習会ではなく、広義な意味での「フットケア」・・・それは 生活面での指導であったり、熟達した手技による治療であったり、テーピング貼布によるものであったり、インソールでも特定の機能ダケを追及したものであったり、そうした総合的な「フットケア」なのです。
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